若い頃から悪い事をやらかしていたので、お天道様の罰が当たったんですね

紀州ドンファン」こと野崎氏は、1941年、和歌山県田辺市に7人きょうだいの3男坊として生まれる。実家は決して裕福ではなく、中学を卒業すれば働くのが当然、というような環境だった。ドンファン自身も地元の中学を卒業後、すぐに働きに出る。酒造メーカー訪問販売員、金融業など様々な商売を手掛けたという。

金持ちになることを目標に働いたドンファン。巡り合ったのは、当時はまだ物珍しかったコンドームを訪問販売する仕事だった。夫が留守の家を訪問し、主婦を相手に【実演販売】をしてみせた、という仰天エピソードだ。当時はまだ20代。体が動くままに働き、当時のサラリーマンの月収の3倍は稼いだという。
コンドーム販売で稼いだ金をドンファンは投資や「金貸し」でさらに増やしていく。金持ちとしての道を歩み始めたドンファンは、北新地の高級クラブなどに通うようになる。そして、東京で本格的に「金貸し業」を開始。以来、着々と資産を積み上げながら高級クラブなどに通いつめ、「美女4000人を抱く男」となったのだった。

ドンファンを「有名にした」のは、ある事件がきっかけだった。2016年の2月のことだ。27歳の自称モデルの女が現金600万円と、宝石類など5400万円相当、計6000万円相当を盗んだ容疑で逮捕される。異例の事件ということもあり、ワイドショーをはじめとする各メディアがこれを取り上げたが、この女が盗みに入ったのが、ドンファンの自宅だった。女はとある交際クラブに登録しており、ドンファンとはそこで知り合った。ドンファンは彼女と会うたびに数十万円を渡していた。女は何度かドンファンのうちに通ううちに、ドンファンの自宅に高級貴金属などが置いてあることに気づいたのだろう。女が逮捕され、被害者であるドンファンの素性が少しずつ分かってくると、メディアは彼の身辺に注目。「6000万円なんて自分にとっては紙くず。窃盗事件もいい経験だ」といまどき珍しいほどに奔放な発言が重宝され、数多くの番組・雑誌に登場したのだった。
さらには一代記を描いた『紀州のドンファン 美女4000人に3億を貢いだ男』なる書籍も出版することに。この本は、人気バラエティ番組『アメト――ク!』の読書芸人の回で、東野幸治氏が紹介したことも手伝って、5万部越えのベストセラーとなった。

同書に記された、女性とのエピソードはどれも鮮烈だ。

<背が高くてグラマラスな私好みの女性を見つけては、こう語りかけるのです。『ハッピー・オーラ、ハッピー・エレガント、ハッピー・ナイスボディ。あなたとデートしたい、エッチしたい…。お付き合いをしてくれたら、40万円をあげるよ』>(P220)

<さて、(一回)30万円というのは高いでしょうか。クラブに3回通って相手と合意したと考えれば30万、40万円という金額は常識外れではなく適正価格だと思っています。世の中には私の感覚に眉をひそめる人もいるでしょうが、そのために私はさまざまな仕事をして稼いできたのです。夢はそれぞれです。私にはなんらやましいことはありません>(P213)

続編となる『紀州のドン・ファン野望篇』では、なぜそこまで「元気」でいられるのか、その秘訣を明かしている。

<一度に300gのステーキをペロリと食べ、必ずビールのジョッキをグビリとやります。毎日大瓶1本か2本を飲んでいます。食事と睡眠。これがうまくいけば夜のほうもばっちりなわけでして、何度も言いますが「バイアグラ」は使用したことがありません。健康のために「カイコ冬虫夏草」という日本製の健康食品をネットで購入しています。それと「セサミン」も愛飲しています>(P94)

窃盗事件の一年後、今度は強盗事件に遭遇する。金品4000万円を奪われたドンファンのもとには、再び取材が殺到した。

そんなドンファンだが、いや、だからというべきか。二度の離婚を経験している(子どもはいない。家族は愛犬のミニチュアダックスフントのイブちゃんだけだった)。二度の「強盗事件」を経て、もう一度身を固めようという気持ちをもったようだ。2018年2月、3度目の結婚を果たした。55歳年下の相手、ということで、再び世間を驚かせた。

ドンファンは先の『野望篇』のなかで、結婚について語っている。特に、おカネ目当てで近寄ってくる女性が多くいたことも明かしている。

<大金持ちで子供もいないのは狙われる要素では一番でありまして、バツ2の私は一人住まいで狙われる要素を備えておりまして、何十人かがトライしてくださいました。

「結婚しようか?」

「ホント?」

おカネ目当ての女性は最初は嬉しそうな顔になります。しかし、お付き合いをしているうちに、私がピンピンしていてあと30年ほどは元気そうなのを知って諦めて逃げ出していくのです。>(P168)

新しい妻との出会いについては、こう語っている。

<昨年秋に羽田空港で転んだ私を優しく助けてくれたのがファッションモデルのSちゃんでありました。もちろん計算ずくの転倒でありましてコケるのも歳の甲、亀の甲であります。

「ありがとうねえ。お礼にお食事でもいかがですか?」
後日Sちゃんを一流料亭で歓待したのもいつものルーティンワークであります。パッと見には派手な顔立ちのべっぴんさんですが、キャピキャピの騒がしい娘ではなく憂いを帯びた口数の少ないお淑やかな美女です。

再婚した加藤茶さんが選んだお相手が45歳の歳の差婚で大騒ぎになりましたが、私はそれを軽く超える55歳差婚です。

「財産目当てじゃないんですか?」
「年齢差が大きすぎますよ」
「エロジジイと思われますよ」

周囲の雑音も全く気になりません。

「はいはい。エロジジイで結構ですよ」
どうせ嫉妬をしているのでしょう。金持ち喧嘩せずとは昔の人は名言を残したものです。
破談を願っている99%の方々には申し訳ありませんが、少なくとも私が幸福になる自信があります。>

最期の結婚生活は、わずか3ヵ月で終わってしまった――。ドンファンは自宅で倒れ、死亡した。遺体からは覚せい剤の成分が検出された。従業員や周辺の面倒を見ていた人、そして妻から警察がもろもろの事情聴取を行い、覚せい剤接種の経緯を調べた。

『紀州のドンファン 美女4000人に30億円を貢いだ男』の中で、ドンファンはこう述べている。

<自分の気持ちに忠実に生きてきた結果が今の自分なのです。誰もが真似したいと思うような生き方ではないかもしれませんが、一つの目標に向かって努力を続ければ夢はきっと叶うはずです。こんな私の人生が、少しでも参考になればこれほど嬉しいことはありません。>

ドンファンの生涯は、文字通り壮絶なものだった――。